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次男について(その1)
2005-05-21 Sat 09:42
インディゴクリスタル4:6の次男は
高校のバスケット選手だ。

あえて「選手」と書かせていただくのは、
彼に対する敬意を表したつもり。(^^;)

小さい時から、こいつは分けがわからない。
言うことはきかないし、気が強くて弱い。

身体も大きく、ずっと3才上の兄貴と遊んでいたせいで
同じ年の子どもよりずっと偉そうに生きていた。

勉強以外は何やってもうまくて強い。
何やっても、、と言っても、子どもの頃のことだから
つまり、ドッヂボールとかカード遊びとか腕相撲とか、、、
いわゆる子どもにとっては最も大事な?
運動神経や、遊びのセンスに長けていたのかな。

エネルギーは常に満タン状態。
小さい時、彼が普通に歩くのを見たことがないくらい。
つまり、常に走っているのだ。
階段があれば、必ず最後の5段はジャンプで飛び降りるし、
道に経っている標識のポールを見つけたら一番上まで登り、
歩道の柵が鉄棒の形をしていたら、逆上がりをするのだ。

手もかかったし、頭も下げることが多かった。

「この借りは、いつか100倍にして返してもらう。」と
よく言っていたものだ。

今、私はもう100倍以上返してもらってる。。。と
いちおー思ってる。

あとが恐い。。。。

長くなりそうなので、続きはまた。

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別窓 | 想うこと
お返事
2005-05-21 Sat 00:04
KAZUさん、「表現すること」にコメントありがとうございました。

コメントにお返事を書いたのですが、
長すぎて、途切れ途切れになってしまいました。
なのでいったん削除して、この日記にお返事を書きました。
機会があれば読んでくださいね。
ありがとうございました。


☆以下お返事
-------------------------------------------------------

KAZUさん、こんばんは。
コメントをありがとうございました。

私なりのお返事を・・・

私は、「正解」を持っているわけではないし、
素晴らしいことを言ったつもりもないんです。
KAZUさんのおっしゃるとおり、よくある理想論だとも思います。

私も以前はよく同じことを思いました。
信仰心が厚い国ほど争いが多いの何故なのか。
神さまは平等だというけれど、こんなにも人としての存在に
差があるのは何故なのか、と。

北朝鮮で飢えている子どもたちを見ると涙が出ます。
なんとか出来ないものか、と。
そして、何もせず日々の出来事に追われて忘れてしまう自分を嫌悪することも。。。

だけど、もし私が、どうしてもそこに行って何かをしたかったら
きっとしているでしょう。
だけど、私はそれをしない。それは事実です。

私は16年間、フォスターペアレンツをしていました。
毎月5000円をホンジュラスの男の子に送っていました。
私のささやかな5000円で、彼の家族を支え、彼は学校に通うことが
出来ていたのです。

7~8年前から我が家も経済的に苦しくなってきて、
色々切り詰めて生活全体を見直していたとき、
このたった月々5000円でもしんどくなる時がありました。
年間6万円。これがあればあれもこれも・・・と。

でも、どんなに生活が大変でも、月5000円くらいは
知らないうちに使っています。
そんな5000円なら、それでお役に立つなら続けようと思いました。

私の長男は彼と同じ年でした。
色々心配も多かった息子にくらべ、彼は親孝行で勉強熱心な子だったようです。

2年前、無事高校を卒業し、私の役目も終わりました。
お礼の手紙と立派に成長した写真を見て、嬉しくて涙が出ました。

本当に、最後まで続けることが出来て、よかった。
里親とは言え、一度親になったら、彼が自立するまでは
途中でやめたりしてはいけなかったのです。


こんなことは、ことさら人に言うことでもありません。
ささやかなことです。

でも、私はとても幸せでした。


私に出来ることはこれくらいでした。
小さい時からよく寄付はするほうです。

私はそうしたいと思ったら必ずします。
でも、出来ないことは出来ない。
自分がしたいことが仕事(役割)ならば、この程度が私の役割。。。

飢えて死んで行く子が、それが役割でこの世に生まれてくるなら、
そんな悲しいことはありませんよね・・・
でも、その質問に、私は答えを持ちません。

自分の役割しかわからない。


ただ、少なくとも言えることは、
彼らのあまりにもひどい現状を思うと、自分が幸せでいることに
罪悪感を感じて、ひっそりと生きることは私はしない。
私は私として、幸せであること。まずそれが前提だと思います。

彼らのために何かをしたいと思ったら、迷わず行動に移すでしょう。

冷たい人間かも知れないけれど、私は世界のひどい状況に
対処できる力を持ちません。

確かに人は皆、平等ではないかもしれません。
でも、その「価値」に高いも低いもないと思います。

客観的に見る価値はわかりません。
その価値は自分が決めることかも知れません。

現実的に出来ること、やりたいことはやりたいと思っています。
それだけです。

KAZUさんのコメントに議論できることばは持ち合わせていないかも。
正しいとか間違っているとか、ものさしではかるのは苦手。

KAZUさんも、ずっと幸せでいてくださいね。
サロンに幸せな人が溢れますように。

長々と偉そうに書いてごめんなさい。
ありがとうございました。


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表現すること
2005-05-18 Wed 22:53
人間は、皆ひとりひとり、何かの役割を持って生まれてくる。
ひとつひとつの生命が、かけがえなく平等に価値がある。

以前、生命誌やDNAについて、そのおもしろさに
ハマったことがある。今も、いつでも感動ものだけど。

私たちは今、約60兆個もの細胞によって出来ているけど
もともとは、たった1個の受精卵だった。

日々細胞分裂を繰り返し、今に至っているのだけれど、
最初の「たった1個」だった頃。(?)
これが素晴らしい出来事なのだ。

一度の射精で放たれる精子の数は、約3億個と言われているらしい。
テレビで時々見かけるが、顕微鏡で見ると、
おたまじゃくしみたいな形をした、おそろしいほどの数の精子が、
卵子めがけて突進する。
そして、3億個の精子の中から、たった1個。たった1個だ。
めでたく卵子と結合できる。

3億分の1。

こんなの、東大に入るより、オリンピックで金メダル取るより
確率低い。
私たちは、生まれてきただけでものすごい価値がある。
すごい存在だ。


雪の結晶。泣けてくるほど美しい形をした雪の結晶。
あの、しんしんと降り積もる雪、その一粒一粒、、、
ぜ~~~~んぶ!結晶の仕方が違うのだ。
信じられない。当たり前だけど、奇跡のようだと思う。

そんな奇跡は日常に山ほど溢れている。

自然の存在は(人間も含めて)、
今ここに生まれ生きていることそのものが
奇跡のように素晴らしい。美しい。

そんな私たちのひとりひとりが、意味もなく存在するなんて
考えられない。

ひとりひとり与えられた役割がカ必ずある。
それは、それぞれにしかわからない。
死ぬまでわからない人もいるだろう。
だけど、結局、その役割をまっとうし、この生を終えるのだ。
誰もが。

役割そのものは皆違うけれど、
ひとつだけ、誰もに同じように与えられた仕事がある。

それが、「表現すること」だ。

天文学的数字に近い確率で生まれた私たちが
他の誰でもない、かけがえのない自分自身を、
ありのままに「表現」すること。

これを全ての人がやれば、世界に混沌はなくなるのだろう。

本当の自分をそのまま等身大で表現することで、
必ず、まわりにレゾナンスを起こす。
嘘やまやかし、見栄、そんなものには共鳴しない。
本物にだけ、そこから始まる世界がある。

本当の表現が出来たとき、自分の世界が始まる。
そこからしか始まらない。

【表現すること】

そのリアリティだけが、自分の世界を作る。
人間は、自分の手でことばで、世界を創るのだ。

・・・・

腕がしびれてきた。イッキに書いちゃいました。
いつものように、読み返さず送信。

寝ます。

ZZZzzz・・・・・
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怒涛の日々(でもHAPPYだ!)
2005-05-15 Sun 02:10
久しぶりの更新。

ここ数ヶ月、久しぶりにたっくさんの人に会っている。
なんか、今までずっと気持ちに余裕がなくて、
本業の仕事と、家でインターネットばっかりしていた。

「私ってオタクだったのか。」と思ってた。
いっそ、このまま、ネット三昧で、誰にも会わずに
ずっと家にこもっていようか、と本気で思えるほどでした。

でも、こうして久々に人に会っていると、
自分の軌跡がよくわかる。
私は、素敵なたくさん友達がいて、
その人たち全てが、私の人生だったのだな、って思う。

ありがたい、って思います。

そして、その人たちに、いっぱいエネルギーをもらう。

以前は、もらうのがとても下手だったと思う。
変な言い方だけど、自分はそんな風に感じてる。

これからは、どんどん、エネルギーをもらうことに
慣れていこうと思う。受け取ることを自分に許そうと思う。
なんで、遠慮してたんかな。

私の知人に、オーラ可視の得意な人がいて、
その人に、私のオーラをとてもほめてもらったことがある。
すごく大きくて綺麗なのだそうだ。

自分がダウナーな時、そんな時はきっとオーラもしぼんで
へなへなになっているんだろな、と思っていたら、
自分の状態に関係なく、私のオーラは光ってたみたい。

不思議に思ったけれど、
「状態」は単に「状態」で、「自分」ではないんだ、って
なんとなく思った。

なんか、いつも何かに対して「申し訳ない」と思ってたかも。
「こんなしょうもない私なのに、オーラが綺麗でごめんなさい。」
みたいな。

オーラが大きくて綺麗なんだ、私。認めよう。

エネルギーは循環させないといけないんだ。
このごろ、人と話しているとき、お互いのエネルギーが高まって
相互作用で、さらに大きく膨らんでいるような
イメージを持つことがある。

自分のエネルギーは、受け取って初めて相手に流れるのかな。

受け取るって、何を?

相手の愛とか思いやりとかギフトとか。
実際ギフトいっぱいもらったわ!

私は、エネルギーがあると思う。
人にエネルギーをあげることは得意だと思う。

私は、場を創ること、人が表現しやすい場作りが
得意かもしれない。認めよう。

人として生まれた限り、誰もが自分にしか出来ない役割があるかも知れない。
でも、たったひとつ、誰もに同じように与えた必須科目がある。

「表現すること」だ。
誰もが持っている役割だ。

眠い。

PS
先日、初めてこのブログにインディゴさんがコメントを
書いてくださいました。
ありがとうございました!やっぱり嬉しいものですね。
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生命の息吹き
2005-05-03 Tue 00:38
今のところ、このブログは、
自分のための自分だけの日記なので
誰にも教えていない。

書いていることも、怪しげだし(^^;)
インディゴのことを知らない人には、
何の興味を起きないだろう。ははは~。

だからそれで全然いいんだけれど、
「清原」のことを書いたら、いきなり
トラックバックを2件いただいた。

世の中、平和だな~と思う。
本当に。

私は、身近な人が興味を持つ何かに対して、
自分がまったく全然ワクワクしないことが多い。

「なんでこんなことがおもしろいのかな?」と
思うことがよくある。

「でも、おもしろいかもしれない」と、
頑張って誘いに乗ってみても、ほとんどがはずれ。
自分はまったくおもしろくもなんともない。
時間が無駄に思えてしまう。

自分は本当~~に自分がおもしろいと思うことしか出来ない。

人は違うのだろうか。
言われるままに付き合える人っているのだろうか。
それとも、本当に、お付き合いの全てが楽しいのだろうか。

不思議やな~。

今、私が20年近く続けている仕事は、
仕事でありながら、仕事と言う感じがしない。
ある活動を通してのライフワークだと思う。

ここには、不思議なほど、同じことが楽しいと思える仲間が
集まっていた。類は友を呼ぶとはこのことだと実感した。

でも、それもまた最近違ってきた。
自分が違ってきたから、そう思えるのだろう。

誰かが楽しいのを見ていると楽しい。
誰かがワクワクしているのを見るととても楽しい。
誰かがどんどん素敵になるのを見るのは楽しい。
誰かが、がけっぷちから勇気を持って飛び込むのは
涙が出るほど感動するし、賞賛する。

でも、
それは自分のことではない。
自分は、もう、ここで何をやっても
飛び上がるほどの喜びはないだろう。

知り尽くした楽しさや快感はある。
いつでもそれは感じている。
だから、長く続けているのだろう。

でも、今は、
もう、私の中の新しい生命の息吹が、
出口を探してムズムズしているように思う。

人はなりたいのだ。新しく。

生命の息吹は、毎年毎年、新しいのだ。
自分と言う幹はひとつでも、
この季節、まぶしいほどの街路樹の青葉が、
あんなにエネルギーに溢れているのは、
昨年までの自分をリセットし、全て落として、
まっさらに新しいからなのだと思う。

本物の生命の息吹は、まっさらなのだ。

生きるということ。
それは、常に新しくなることかも知れない。



今日も、キーボードを打つにまかせて
読み返さずに送信しよう。

何書いたか気にしない、って、楽チンだわ~~。


ボナノッテ

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