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『自分を癒す⇔自分を入れ替える』
2007-08-01 Wed 10:17
0801




2007年8月1日(水)最新のbanbing world

『自分を癒す⇔自分を入れ替える』


チャクラを回す。

チャクラって、「車輪」っていう意味らしいですねー。
それすら知りませんでしたー。

アマウベさんに教えてもらったのは、
特に、3、4,5のチャクラを「回す」んです。

チャクラにも、表と裏?前と後ろがあって、
後ろ、つまり、背中側のチャクラを回すのです。

背中側は、「過去」。
過去の傷、過去の感情、そういうものを、チャクラ回して解放する、って感じ。
なんとなく、遠心力で、余分なものを振り落とすって気もしたけど、
ゆっくりでいいみたいですよ。ブルンブルンとじゃなくて。^^

私は、渦巻きのようなものをイメージして、
3(みぞおち)の背中側で、右回りに渦巻きを回してみました。
「車輪」なんだかから、タイヤかなんかが回ってるイメージでもいいかも。

最初は、なんだか、身体全体がグルグルまわるような気がしました。

そして、次に4(胸@ハートのチャクラ)の後ろ側。
ここを回した時は、もう、ほんと、締め付けられるように
胸が痛いくらいでした。熱くなったり。


で、最後に、5(喉)。ここもぐるぐる。
言いたいことが言えていない人は、かなりキマスよ~。


はい。
こんな風に、「チャクラを回す」のです。

で、それだけでもすごくスッキリするんだけど、
それに、「自分を癒す」を付け加えるわけです。


「自分」という字は、自らを分ける、と書きますよね。

それです。

最も高い?次元の自分と、とても低次元?(ごめんね)を、
まず、分けてみるのです。


最も高い自分(大きな自分)が、
最も低い自分(小さな自分)を、癒すのですよー。



小さな自分が感じてる、
悲しいこと、つらいこと、腹の立つこと、我慢してたこと、、、
それを順番に思い浮かべて、大きな自分が、癒すの。

その悲しみも腹立ちも、受け入れて慰める、、、みたいな。


(これね。元気な時に書くと、かなり恥ずかしいんだよ。^^;
 でも、マジで落ち込んでいる時は、絶対効果的。)


「ごめんね。こんな悲しい思いをさせて。
 こんな腹立たしい状況を創り出してしまって、ごめんね。
 悲しかったよね。苦しかったよね。かわいそうだった。
 よく我慢したねー。頑張ったねー。
 本当に偉かった!ほんとにほんとに、ごめんね!」

「誰がどれだけあなたを責めても、あなたを苦しめても
 私だけはあなたを愛してるよ。本当に。
 絶対に裏切らないよ。絶対に苦しめないよ。
 本当に本当に、どんなあなたのことも大切に思ってる。
 いつでもあなたを見てあなたを思って、
 誰よりもあなたを愛しているんだから。
 だから、だいじょうぶ。。本当に、ゴメンね。苦しめて。悲しませて。。」

み、みたいなー・・・・。

とにかく、「これでもかー。」というくらい、
自分に世界一優しいことばを投げかけるのです。

たとえば、悲しみをもたらした相手(ホントは自分でもたらしたんだけど)に、
言ってほしいことば。
怒りを感じる相手に、こうやってあやまってほしい、と思うことば。

自分が一番言ってほしいことを、自分で自分に言うわけです。

これって、実に理にかなってるの。

目に映る出来事、起こる出来ごと、すべてすべて、
自分の内側の反映。自分が人に映るだけ。

これには、色々なパターンがある。

同じ波動が引き合うってこともあるだろうし、
まったく逆の、依存の形で出てくるのもあるだろうし、
世の中の、一見自分には関係のない、事故や事件や災害として
顕れることもあると思う。

とにかく、外があるのではなく、自分が写ってる。すべて。



ニュースなどを見て、心が乱された時、胸が痛む時、それもそう。

それも、今の自分の状態が、呼び込んだ「自分の現実」 なんだよね。

だから、同情や恐怖は、自分の内側にあるものだと思えばいい。


だから、自分を癒す。



そのたびに、思いついた時、いつでもどこでも何度でも、
たとえば無意識に「はー」とため息が出たとき。即話しかける。

ちょっとでも、怒りを感じた時、恐怖や悲しみに襲われた時。

即、話しかける。

常に常に、語りかける。。。

語りかけながら、チャクラを回すんだよ。常にね。

これを続けていると、だんだん、チャクラの痛みや詰まりがなくなってくる。



それでね。気づいたんだけど。


2007年5月に書いた卒論と追加レポート。

「概念をリリーする①~③」「自分の中の次元」
(長文読める人はついでに参考にしてくらさい。)

卒業したつもりが、そこから始ってた、みたいな。。。留年っすね。^^;



この「自分で自分を癒す」方法では、
悲しいとか苦しいとか、怒りとか、恐怖とか、、の、
ネガティブな感情を持つ、いわゆる、「低い時限の自分」と、
それに対して、全面的に、完璧な「無償の愛」で、一切ジャッジせず、
100%、自分の味方で励まし、癒してくれる、
「高い次元の自分」とが、「対話」しているわけだよね。


感情を溜め込まず、出すことはとても大事。
だけど、たとえば、怒りにまかせて、「うおーーーー!!」と怒鳴ったとして、
「あー、スッキリした!」で終わらせては、
その次元の低い自分に、すっかり支配されちゃったことになる。

悲しい、と言って思い切り泣いたところで、、、
恐いと言って、恐怖に打ち負けてしまったところで、、、

とにかく、低い次元の自分が、自分のすべてになることを
許してしまったことのなる。

「彼女」の存在だけが、「自分」そのものになっちゃうことを
受け入れたことになる。


だけど、自分で自分にあやまって、慰めて、励ましていると、
低い自分は、すっかり癒されて静かになるのです。

その時、「高い次元の自分」が、指導権を握っているわけです。

高い自分の言うことを聞いて、低い自分は、治まってくれるんです。


これって、、、すごいことだと思うんだよね。


入れ替わりです。

自分だと思っていた自分が、変わるんですよ。

「感情」というものに、支配されていた「自分」

この子が、高い自分によって、無理なく、自然に、引き下がるんです。

低い自分がまた暴れ出したとしても、即、高い自分が登場すれば、
低い子は、本当に癒されて、嬉しくて、安心して、大人しくなるんです。



「自分と契り直す」「入れ替える」「光りを掘り起こす」・・・


観音様に、言われたことです。


「感情を、情を、手放し、真実の自分に会う。」


って、こういうことだったのかな、と思う。

最も低い次元の自分に会った時、
最も高い次元の自分も、現れるのかも知れないね。




自分を癒すことがわかってきたら、
周りの人たち、出来事、すべてに対しても、
「ごめんね。ありがとう。愛してる。」と、
心の中で言い続ければいい。

周りの人に言うのも、自分に言うのも、同じことなのだから。





「ハイアーセルフに会いたい。繋がりたい。」

そう願うなら、今すぐにでも、会えるわけです。ね。


この方法を使い続けていれば、
どんどん、どんどん、高い高い次元の自分が、
「自分」の指導権を、握るようになる気がしませんか?

気づいた時には、自分の中の次元は、融合されている。

バラバラの次元があって、かなり低い次元の自分が
「私」だと思いこんでいたけれど、、、

本当の自分が、自分で自分を癒すことによって、登場する。


伝えたいこと、届いてるかなぁ。



なんとなく、そんな気がしたんですよ。長々と書いたけれど。


自分と契りなおす。次元を上げる。

すなわち、自分で自分を癒す。



と、思いますよね。


最も低い(まだ先があったら嫌やな~)自分に会い、彼女を癒した。

これからはもう、いつ出てきても、いくらでも癒してあげる。


何度でも何度でも。



もう、明け渡したからね。主導権を。高い自分に。



自分以上に、自分を愛せる存在はいない。

自分以上に、自分を癒せる存在はいない。




「ごめんね。」「ありがとう。」「愛してる!!」





皆さまも、お試しくださいませ。


読んでくれて、ありがとーーー!!!

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別窓 | 概念をリリースする
『自分の中の次元』
2007-05-28 Mon 13:10
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どんな時にも 誰にでも 青く輝く 空がある


『概念をリリースする。追加レポート【自分の中の次元】』 20070528


いつも、

自由意志で自分が選択しているにも関わらず
完璧に用意されていた大いなる意思の流れでもあると、感じます。


自分自身の最近のテーマというか思っていることは、
表層の自分と真実の自分を入れ替える、というか、
本来の自分自身を引き上げる、というか、、、

それは、もっとも高次の自分であることと、と同じなんだと思うんだけど。


自分の中にも、あらゆる次元があって、
毎日毎日、色んな次元の自分が顔を出す。


前にも書いたけれど、「感情」なんていうのは、毎日のお天気のよう。
また、「思考(マインド)」も同じ。ハートだってそう。

雨の日もあれば風の日もあり、時に嵐が起こり、雷も鳴る。

悲しみや怒り、憎しみ、喜び、欲望、、、あらゆる感情。

創造性、想像、イマジネーション、計画や計算、、、あらゆる思考。

日々感じること、日々思い巡らすこと、行動すること、
体験すること、話すこと、、、、生きることすべて。


それらは、各それぞれを、自分の中の「次元」で捉えることが出来る。


憎しみや苦しみを低い次元とすれば、
喜びや楽しみは少し高い次元、
線引きなんて出来ないけれど、
幸せで愛に溢れた自分は、高い次元の自分ってことになる。

それらは、どちらがよくてどちらが悪い、ということではなく、
どんな人にも、普通~に、すべて「在る」もの。

人々は、みんな誰も平等に、すべての次元を「持っている」

自分の中には、最も低い次元から最も高次まで、すべて「在る」

言い換えれば、光りも闇も。


そう。
ただただ、それだけのこと。なんだよね。 在るものなの。


だから、
苦しみたくなければ、それより少し高い次元の自分でいることを
選択すればいい。

「覚醒」とか「悟り」とか、目指すのであれば、
常に、最も高次の自分にフォーカスし、そこに居ればいい。
どんどん自分の次元を上げてゆけばいい。

意識のアセンションは、ただ「選択」するだけのこと。


そういう自分でいることを、ただ、選択すればいいのだ。

それだけのこと。



じゃー、何故。
何故世の中は、これほどまでに、悲しみや苦しみに溢れているのか、、、

また、落ち込んだり嘆いたりを繰り返すのか。


そこに居ることを、選択しているから。望んでいるから。。。


怒られるかも知れないけれど、
誰もが皆、自由意志で、選択した次元にいる。

だけど、それは、自分の意思であるんだけれど、
外側の低い次元や集合意識などと、
周波数をあわせてしまっているということでもある。


見えるもの接するもの、、、
それらはすべて、自分の発する周波数の顕れ。

自分が選択して呼び込んだものなんだよね。


そしてまた、誰もが高い次元に居ることが出来るにもかかわらず
ほとんどの人がそう在ることを選択していないのは、、、

ただ、「体験したい」という、ここに生まれた目的があったからでもある。


自分の中の、あらゆる次元、あらゆる感情、を体験してみたかった。

この肉体を持って、この3次元でしか出来ない、「楽しい」体験を。



高次から見れば、悲しみも苦しみも、「体験」でしかない。


雨も嵐も雷も、ただただ、それは「在る」ものでしかない。


どんなに悲惨な状況であっても、
その、厚く覆われた雲を抜けて上昇してゆけば、
どんな人にも、確実に平等に、輝くばかりの青空が広がっている。


どんな人にも。どんな状況に居ても。その人が望みさえすれば。



その「選択」は、他の誰もしてくれない。
唯一、それを決めて選択できるのは、自分だけ。

望むのも、決断するのも、行動するのも、、、、。




今より少し高いところに行く。

それは、どんなところか見えないかも知れない。

自分がたどってきた道は見えても、これから先の道は予測不能。

過去のあらゆる体験から、恐怖感が湧きあがる。

「恐怖」という感情ではないかも知れないけれど、
「無気力」や「怠慢」「妥協」「不確かさ」「信念体系」「集合意識」
・・・
これらも、根源は、やっぱり「恐怖」なんだと思う。



それは、世界で言うなら、4次元的なところ。
地球に最も近い、霊やらおばけやらの、こわーい次元と同じこと。


そこを抜ければ、次元が上がるんだけど、勇気が出ない。
たとえば、醜い自分を見るのがこわいから、
突き抜けることが出来ずに戻ってきてしまう。


信じることが出来ない。自分の壮大さを。自分の青空を。
受け入れたり、愛したりすることが出来ない。醜い自分を。


そして、とても悲しい時、つらい時、傷ついている時、、、
醜い自分ではなく、誰かを責めてたりする。
自分が悪いのではなく、誰かや何かのせいなんだ、と
自分を納得させている。低次元の自分を。



人は誰も、いつでもどんな時も、
自分で選んだ、自分の居たい場所に、いつも居る。

それだけのこと。


.......................................



なんだか、こんなことが一瞬で腑に落ちたような気がした私は、
ぽっかりと心に穴があいたように、空虚な気持になった。


ぼんやりと脱力してしまった。




夜中に目が覚めた。久しぶりにリアルな夢を見ていた。


日常と変わらない風景の中で、なんと私は素っ裸だった。

普段の思考を閉めていること、
気になっていることや、日々の雑多な出来事のビジョン。

何でもない状況の夢の中で、丸裸でいる自分がいた。


恥ずかしくて隠れたいのに隠すものが何もない。
隠れる場所も、?む何も、しがみつく誰も、、、何もない。


だけど
周りにたくさん人が入れ替わり立ち代り現れるのに、
その誰もが、まったく自分が全裸であることをを気にしていない。


恥ずかしいのは、自分だけ。




象徴的な夢だった~。




自分の道は、

直線的に考えれば、前に続いている。ずっとずっと。


だけど、いつの時も、自分が選択すれば、
多次元的に在ることが出来て、直線を、二元性を、超えてゆける。

瞬時に、青空に居ることも出来る。


それは、ただ選択するだけ。居たい場所を。



3次元的な時間はないし制約もあるけど、とてつもなく自由でいられるとか。
お金も安泰もないけど、まったく心配することは何もない、とか。



それは、もうすでに、精神論を超えて、科学。
現実は、選択によって動く。完璧だけど定義出来ない、秩序を持って。


新しい世界の新しい、スタンダードな在り方。




青空は気持いい。
ずっとそこにいたい。
いつでもそこにいることを選択できる。


そして、それは、いつも、そこに在る。いつでもそこに還れる。




定義なく、意味づけなく、言い訳もなく、、、



banbing垂れ流し状態で、突然終わり。
掃除しなくちゃ銀行行かなくちゃあーーあれもこれも・・・な次元に今はいます。


みんなみんな愛してます。何より自分を。





別窓 | 概念をリリースする
『概念をリリースする③感情』
2007-05-21 Mon 10:59
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友が帰郷する。元気でね。




なんか、卒業論文みたくなってきました。

とりあえず、自分の中の区切りです。



『感情』。

もしかしたら、これは私の今生でのメインテーマだったかも。

多くの人にとって、今、この二元性の世界を超えるための
大きな課題かも知れないね。

課題っていうと、堅苦しいけれど、
今この大事な時、自分にとって古くなったものを手放すという、
私にとって、ひとつの大きなブレイクスルーの鍵は、
きっと、この『感情』だったんだと思う。



『感情』っていうのは、偉大な海の「表面」なんだよね。

表面。海面。

お天気や、まわりの環境や状況で毎日変化するもの。


お天気がよければ穏やかに凪いで、心地よくて幸せ気分。
だけど、大波が立つ時もあれば、大嵐の時だってある。
ボートや船が通ったら、波が立ったり揺れたり、、、

まわりの環境によって、その表面は毎日姿を変える。

そーーーゆーーーーもの。なんだよね。
わかってはいたけれど、、、。


だけど、どんな時でも、奥底の深海は、
静かに、動じることなく、冷静沈着にそこに在る。


その深海も、海面も、すべて、自分なんだよね。


時に、表面だけが、自分のすべてだって思ってしまう。
わかってても、繰り返し繰り返し、そこにハマってしまう。


波が立てば心配し、嵐が来たら大騒ぎ、、、

晴れて穏やかな日は、嵐のことなんて忘れてる。。


そういうものなんだよね。

私は、『感情』が、大好きなんだよな。きっと。はは。



意識というものを、どこに合わすか、、、


海面だけに合わせていたんだな、って今は思う。


悲しみ、怒り、喜び、、、っていう感情だけでなく、

経済的な問題、子育て、恋愛感情、人間関係、、、

全部、この海面での出来事なんだと思う。


どんなに心が揺れたり、感情が乱れていても、

深海には、どっしりと安心して見守っている自分がいる。


宇宙の意思や、自分がここに生まれた時に決めて来た、
今生での青写真や、、、

そんな、完璧な計画を進んでいる自分を、
手を出さず、自由意志にまかせて、安心してみている。


どんな大きな揺れも、乱れも、悩みも、苦しみも、
すべて、完璧にあった。


今はそう思う。


そして、そんな人間だけが持ちえる、『感情』って素晴らしい。

人生を楽しむために、あらゆる体験をするために、
人間だけが、持っているものだから。


そして私はこれから、そんな感情も切り捨てるのではなく、
感情のみで生きているような在り方を、リリースしていこうと思う。


深い深い自分自身にフォーカスを合わせながら、
感情に振り回されることなく、上手に付き合っていきたいな。


海の表面にいる、あらゆる自分を、客観的に見れるようになったのは
大きな進歩だと思います。


無理せず、一歩ずつね。
ま、どうしても大暴れしたい時は、暴れるさ。


『感情』のシステムが、やっとわかった気がするんだよね。

頭ではわかっていたことが、やっと。ね。


自分っていう概念を超えたんだよね。


壮大な自分。とても自由。とても自然。


そこには、大きな大きな愛があり、信頼があり、
すべてと繋がっている、完璧な存在としての、自分が在る。

本当の意味で、人を愛してゆきたいし、
自然を、ガイアを、宇宙を、、、
すべてを自分のこととして、深く大きく愛していきたい。


そんな全体としての自分。そこにフォーカスしていこうと思う。


『感情』を切り捨てるのではなく、嫌悪するでもなく、
愛しい自分の一部として、大事にしてゆきたいし、
もう、それに振り回される自分の在り方を、リリースしてゆく。



これ。卒論にしよう。
混乱は終わった。

今までの自分をすべてリリース。

そして、今までの自分も含めて、再構築された新しい私で、
この道行きは、深く深く、これからも続いてゆく。



ありがとう。私。





※そうそう。今日はこのあと、ある方とデートなの。
 あー。楽しいな。3次元はやめられん。抵抗しませんわ。



別窓 | 概念をリリースする
『概念をリリースする②ことば』
2007-05-21 Mon 10:57
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↑最近の空は、超カッコいい~~~





「人はことばで世界を見つけ創造してゆく」

これは、私の人生の師である、『祭主』のことばだけれど、
日木留奈君が初期の本の中で、同じこと言ってたね。


概念というものは、漠然と、当たり前に、誰にでもあって、
それは制限がなく無限の可能性を秘めている。

そして反面、形も名前もなく、認識できないものだから、
ある意味、「ない」も同然という感じでもある。


りんごが木から落ちるのは、誰もが知っていた。
だけど、「万有引力」ということばがなかったときは
あまりに当たり前で、誰もが知っている現象であるために
意味もなにもないように、忘れられていたような現象だったのかも。


でも、名前が与えられたことで、それは初めて「存在」を始める。

創造行為も始まり、名前を得たことで世界は拡がってゆく。



だけど、

ことばで世界は創られていくけれど、
ある意味、ことばで世界は限定されてゆく。

定義されてゆくんだよね。


その定義が定着するころには、
その本質は、いつしか忘れられていく。
不思議で緻密で、奥深い意味を持つ、その本質は。



私は、出雲以降、たくさんの新しいことばに出会った。


周波、共時、灯火(とうか)、周波の角度、光りの角度、
光りをくみ上げる・掘り起こす、

手を繋がない、、、

(他にもいっぱいあるけど出てこない~)

もちろん、ひとつひとつのことばの辞書的な意味は知っている。

だけど、その、制限された意味の枠を、超えたんだよね。

壊されたの。

ひとつのことばによって、創られている世界が、拡大したんです。

世界が拡がったの。


今まで、うまく説明できなかった体験や概念が、
大幅に、説明しやすくなったわけです。


周波で出会う、
周波の角度が変わって、呼び込む物事が変わる。



手を繋がない、、、ていうのは、

「繋がっているんだけど、繋がない」っていう感じ?

依存しない、頼らない、ってことでもある。


個の確立、自立、真の自己発見・自己実現は、
誰かや何かと手を繋いでいては実現できない。

完璧な自己信頼でのみ、それは可能になってくる。

とてつもなく、孤独な作業。



今までの古い概念でことばを限定すると、

「人はひとりでは生きてゆけない」
「人は支え合って生きている」なのだ。

そのことばの意味する「概念」のままに生きていたら、
孤独は耐えがたいほど闇の世界だ。


そこに、新たな概念が入り、
「孤独」の意味するところを大きく拡大させる。

とたんに、恐怖は消える。

繋がっているけど手を繋いじゃいけないんだ。

真の孤独に踏み込んでこそ、真の自己に合える。

真の自己に出会うことで、本当の意味ですべてが繋がっていることを知る。


私って恐いもの知らずというか、ニブいから、
恐怖って、あんまり持ち合わせていない、って思ってた。

でも、「孤独感」ていうのは、恐怖からくるんだよね。


手を繋がない。。。ということが感覚的に受け入れられたのは
個の恐怖を、超えたんだと思う。

「孤独」という概念も、新しくなったんだよね。


そういう、新しい概念が、自分の新しい可能性を引き出す。


「出来るかも知れない」「きっと超えられる。」と。




ことばで制限されている、概念をリリースする。


スピリチュアルという概念。
ライトワーカーという概念。
アセンションという概念。

ヒーリングという概念。
チャネリングという概念。


今すでに、これらの「ことば」の中に
どれだけ多くの制限と既成概念があることだろう。



『ことばは心を超えない。』
  ※byチャゲ&飛鳥 「Say Yes」(^_^)


そうなんだよね。

ことばで表現されることによって、概念が植えつけられる。


だけど、そのことばが意味する真実は、
いつも読む人の心の中に形成される。

それは、完璧な自由度と広がりを持って。



毎日毎日、概念は固定してゆくし、
毎日毎日、書き換えられる。



Openなスタンスで、いつも、キャッチ&リリースでいよう。



ことばが制限している、概念を、越えよう。



別窓 | 概念をリリースする
『概念をリリースする①時間』
2007-05-20 Sun 14:27
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根拠もまとまりもないままに、、、、コマンドです。


ここ数ヶ月を経て、最近よく思うことがある。


ひとつは、『時間』。時の流れ方。

既成概念や、一般常識からいうと、はちゃめちゃだ。


なんというか、、、

『結果』が先にあって、
プロセスが後から結果を追いかけているような感じ。


或いは、

『原因』を先に知って、
理由もわからないのに、
混乱のまま、結果を捜し求める感じ。


無意識の『意識』が、現象を起こし、
その現象にあわせて、慌てて自分を引き上げる感じ。


また、

理由のわからない『体験』を経て
その「体験したこと」を、
表層で感じるままことばにほどくことで、
それは、まるで成長していって・・・。

そしてもう一度、その体験が深みを帯びて、目の前に顕れる。

新たな機会を得て、その同じ体験を繰り返し、
あらためて、内側を開き、『初めての体験』をする。


だから、それは『知っていること』。Knowingness。
そして、それはまったく知らなかったこと。


すでに、原因があって結果があるという、
因果応報の法則なんて、すっかり超えている。


何かを思いつく、ひらめく。イメージする。
それが情熱となって行動を起こす。
そして相応の時間を経て、結果に繋がり、答えを出し、
達成感を味わう、、、


思考⇒行動⇒結果

この、直線的な在り方は、もう、壊れてる。


いや、それも混在しているんだけれど、
無秩序になってきている感じ。


なんと言うか、

『知っていること』が周波数を変える。

その周波数が、未知の体験を呼ぶのだけど、、、、


その『知っていること』って、
表層の思考を大きく超えていて、認知できていないのもあって。

過去生も含めた、魂の領域にあることなのかも。

『叡智』なのかも知れないし、
未来のどこからからチャネリングした『情報』なのかもしれないけれど、

それらが、今この時の自分の表層の思考と、シンクロするんだよね。

自分の思考なのに、叡智とか未知の情報である感じ。



周波で出逢い、決意で動く、ってことは前に日記に書いた。

それも、ことばで書くと、とても直線的になるのだけど、
それも、今この時点から前に向かう、という、
時間軸を、超えているの。

未来からやってきたり、
過去が未来に先回りしていたり、
未来は、実は過去に存在していたり、、、




それから、

「パズルのピースが集まってきた」という感覚も
今、あらためて、どうしようもないワクワク感とともに
もう一度『体験』している。


バラバラに存在していた記号が、
ある時、一挙整列して、完璧な答えのような絵になる。

それは、過去の小さな出来事であったり
何気ない誰かの一言であったり
いつか読んだ本の中の一行であったり

或いは、未来へのぼんやりした希望であったり
ある日描いた『望み』であったり、『選択』であったり
未来の、まだ体験していない、知らない記号だったりする。

また、
無意識にずっと考えていたことだったり
気づかなかったけれどずっとそこにあった概念とか・・・

知っていたことも、知らなかったことも
体験したことも、まだ体験していないことも、

すべて、『理由』を持って必要なところに在って、、、

まるで、自分という存在を中心に、
あらゆる「何か」が、放射状に拡がっていて、

過去も今も未来も、内も外も、
或いは、細胞の隅々までも、DNAの一本一本までも、、

当たり前に、同時に存在していて、
今この瞬間の『完璧な絵』になって、

ある時、突然、ひとつの気づきのように、「集結」する。




今朝、目が覚めた時。


しーーーーんと静まり返った思考の中に、

意味不明の『表』が、顕れたの。

スッキリと無駄なく、完璧にすべてが並んでいて、

ひとつの『完了』を告げていた。


そして、コマンドとなって、これを書いてるわけです。


ものすごーく、身体が疲れてて、もう一度寝てしまったけれど
その無駄のない、一見殺風景な、シンプルなその『表』は
知っていることも、知らないことも、
体験したことも、未体験のことも、
何もかも、整列していて、満たされていて、

そこに誰かがいるのかいないのかわからないような
存在感みたいなものだけあって、
その『存在感』が、すべて、満足しているの。


放射状に、拡がっている、あらゆる何かが
そのすべてをもって、すっかり、満足している。


そのすべてをもって、「自己」というものなんだけど・・。




 
体験は、何らかの角度に、周波を変える。

そして、新しい何かの周波をキャッチする。


過去も未来も、そこにあって、
このタイミングで、リコネクションされる。



表層の私は、その大きな変化を、「知らなく」ても。




長くなったので終わります。続きはまた。


(※よく最後まで読めたね。Thx. (^_^;) 
ありがとう
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